Moment #4
ダイヤモンドダストを見てみたいと彼女が言ったので、僕はそれはもう死に物狂いでバイトを掛け持ちしまくり、
やっとの思いで北海道旅行をセッティングしたのだった。出発は来週の火曜日。こっちより少しは涼しいだろうか。
夏休みも佳境なので、なかなかにお高いプランしかなく、学費くらいでしか見たことのない金額を振り込むことになった。
「信じらんない。ダイヤモンドダストは冬にしか見られないに決まってるでしょ。馬鹿じゃないの」
僕は馬鹿だ。
すっかり行き先が北海道である理由を忘れた僕は、夏休みなら平日ど真ん中にでも行けるではないかと浮かれて、
この日なら一部屋だけ空いていますと言われたところにすんなりと申し込んでしまったのだ。
何か気の利いたことを言おうとして開いた口は、塞がらなかった。
僕は馬鹿だ。
冷静になって考えてみるとキャンセルという手もあったのだが、ヤケになったところもあり、
つまり僕は今、飛行機で北海道へと向かっている。
あれから数日もしないうちに僕は彼女に別れを切り出され、結局は一人きりの旅行を決行する羽目になった。
隣は空席。本当なら彼女ともたれあって眠っている手筈だった。
仕方なく窓にもたれ掛かり、無機質な振動に心地よくなりながら空を見下ろす。
こりゃあ、地球は青いよガガーリン。
せめて幸福な夢を見るため、僕は眠ることにした。
空港からシャトルバスで旅館へ向かい、チェックインを済ませる。
お連れ様は、と聞かれたが、後から来ると嘘をついて部屋まで案内してもらった。
多分僕とそう歳は変わらないであろう案内係の女の子は作り笑顔で部屋の説明をする。
追加料金で君はついてこないのかと聞きたかったが、ふと彼女の手元に光る金属製の輪っかが目に入ったので、
口には出さずに飲み込んだ。
ごくり。
この静かな部屋では唾を飲み込む音すら聞こえてしまいそうだった。
何故か来るはずのないお連れ様が、部屋に通されたのだ。
セキュリティとかどうなってんの。個人情報とかいろいろ厳しいんじゃないの。
とにかくよく分からないが、セキュリティも、この痺れるような静けさも、破ったのは見ず知らずの女だった。
「なんだか知らないけど、わたし、あなたのお連れ様と間違えられちゃったみたいで」
いやいや、違いますの一言で済んだはずでしょうが。
とは言えずに、ただ頼りない声が漏れただけの僕をなんと情けない男だと思ったに違いない。
コポコポとお湯が沸いた音がしたので、ひとまず備え付けのお茶を入れることにした。
「紅茶と緑茶があるけど」
「あ、緑茶で」
湯呑みにティーバッグを入れお湯を注ぐ。
赤ちゃんは、キャベツから生まれてくるんだぜ。
脈絡もなく過った台詞は、熱い緑茶で流し込むことにした。
「わたしね、今日死んでやろうと思っていたの」
部屋に備え付けられた茶菓子を頬張りながら彼女は言う。
なんでも、彼氏に酷くふられて、思い立って出来る限り遠いところへ来たのだそうだ。
一人で泊まろうと何件か近くのホテルをあたったらしいのだが、
自殺するのではと疑われたらしく( その通りなのだが )断られたらしい。
「あと動物も見たくて」
しろくまがすごいのよ、と、スマートフォンで写真を見せてくる。
あ、そう、としか言えず、完全に勘違いしたままの仲居がにこにこと食事の案内に来たのを黙って聞いてしまった。
それから僕と彼女は、近くをぶらぶらと観光し、彼女は二度目の動物園へ行き、またしろくまの写真を撮った。
しろくまを眺める彼女の横顔が間抜けで笑うと彼女も笑う。
幸せな気分になって、それがまた可笑しくて、また笑ってしまった。
ほとんど嘘みたいな時間は、あっという間に過ぎてしまう。
嫌味なほど豪勢な食事を済ませ、温泉に入り、そして抱き合うでもなく、ただふたりで眠った。
温泉につかっている間は、邪なことを考えていたのだが、なんだかそういう気もなくして、
というよりも疲れてしまって、あとは酒の力も借りて、きっと僕らは心地よい夢を見た。
僕たちが結ばれることはない。たぶん。
不思議な一日を終えて、べつべつに帰路についた。
連絡先を交換することもなく、不思議な思い出にしておこうと手を振った。
しかし僕たちはまた、今度は東京のコーヒーショップで運命的な出会いを果たす。
「そういえばあなたと出会うより随分前に、ダイヤモンドダストが見たくて真夏の北海道に行ったことがあるのよ」
わたしったら馬鹿でしょうとはにかんで見せる君に、どうやってキスしよう。
窓から差し込む光が、彼女の脱いだコートから舞い上がったほこりをきらめかせてみせた。
( ダスト )
Words:やまもと
Photo:6151